第1話:江戸時代の洗濯とクリーニングの原点
日本では、古来より日常に、「洗濯の風景」がありました。
といっても、現代のように全自動の洗濯機など一切なかったわけですから、
洗濯はすべて、人の手によって行われていました。
江戸時代以前、人々は、麻でできた衣類を中心に身にまとっていました。
麻は繊維が堅い素材であるため、手で洗うことが困難でした。
ですから、足で踏んで衣類のヨゴレを落としていたといわれています。
いわゆる足踏み洗濯です。
それが江戸時代に入ると、木綿をはじめとする、やわらかい繊維でできた衣類が、
庶民にも普及するようになりました。
木綿でできた衣類は、麻でできた衣類と違ってやわらかく、
人々は、衣類を手で揉み洗いすることができるようになりました。
井戸端に大きなたらいを置き、水のなかに衣類を入れて、近所の人々とワイワイ世間話をしたり、
歌を歌ったりしながら洗濯が行われたといわれています。
そこでは、ヨゴレを落とすために、いろいろな工夫が施されます。
米ぬか、米のとぎ汁などが使われたのです。
あとは、台所の竈ででる灰を水と混ぜた灰汁や、豆腐をつくるときに出た残り湯である豆腐湯などが使われることもありました。
それらの物質を水と一緒に、たらいに投入して、手でゴシゴシ衣類を揉んでヨゴレを丹念に落としていく。
特に冬の季節は水が冷たく、骨の折れる作業だったと伝えられています。
ちなみに当時の人々は、日々に培った経験や知恵から、米ぬかなどヨゴレを落とす物質を使っていましたが、
科学が進歩した現代、それらにはちゃんとした科学的根拠もあることが分かってきました。
たとえば、米ぬかの場合、油成分などさまざまな物質が含まれているのですが、
そのひとつに、γ(ガンマ)グロブリンと呼ばれる物質が含まれているんです。
γ(ガンマ)グロブリンとは、ヨゴレを落とす、たんぱく質の一種なんです。
さて、クリーニング業というものがいつ頃発生したかについてですが、
その歴史を遡れば、江戸時代に、大坂などで活躍した悉皆屋(しっかいや)に
その原型を見ることができます。
悉皆屋とは、大坂で生まれた職業のひとつでゆくゆくは江戸や京都にも拡大していくのですが、
たとえば、着物を染めたいというお客がいたとすると、その希望す
る色を調べて、呉服屋に取り次ぐような職務をしていました。悉皆屋の業務は、次第に
拡大していきます。江戸時代、着物が社会に普及するとともに、都会の人々はオシャレ
に着飾るようになっていきます。
そのなかで、さまざまな染料が開発されたため、悉皆屋は、多数の染料の組み合わせで、
オリジナルな色を提案することも行い、次第に、呉服屋の仕事も兼ねるようになっていきます。
そこでは、現在のクリーニングに近いことも行われいたといわれています。
たとえば、染み抜きです。着物に醤油をこぼしてしまった、畑で泥がついてしまった。
ガンコなカビや汗が付いているなど。そういったヨゴレは、手で揉み洗いしても簡単に取れません。
そこで、そのヨゴレが油溶性なのか、水溶性なのか、それとも不溶性なのかなどを判断して
重点的に落とす作業が行われていたのです。
ほかには、洗い張りです。洗い張りとは、高級な絹の着物など、型がしっかり
できている衣類を解き離して、ゴミや糸くずを除去して洗濯して、仕上げる作業のこと
です。
江戸時代が終わり、明治時代に入ると、一般家庭には、石鹸や洗濯板が登場するように
なります。科学の進歩とともに、より速くキレイにヨゴレを落とす手段が求められるよ
うになっていきます。大正3年に、初めて国産のクリーニング機が開発。次第に、クリ
ーニング業というものが、社会に明確な形を成してくるのでした。
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